写真こそが思い出であり、思い出は写真すべからく
いや、タイトル日本語おかしくね??
昔の記事とか読んでくれてる方はご存知の通り、まともな日本語を使う気が無いのでご了承を、そして感覚で伝わればそれでいい。
さて、自分へのツッコミを終えて、
自己語りシリーズです。
社会人になり自分の好きなことをやれる時間が増え、温泉に行ったり観光をしたりするようになりました。
一眼を片手に動き回ることがとても楽しく、結構日帰り旅行をしたりしています。
そして、その旅行の思い出をふと何気ない瞬間に思い返すことは幸せで素敵なひと時です。
それ、本当ですか????
人間の記憶なんて曖昧なものです。
"ふと何気ない瞬間に思い返すこと" なんてなかなかできないのかなって。
1,2年前の記憶なら、
或いは、瞬間的に高揚した最高の場面ならば、
蘇ってくるかもしれない。
しかし、それより前の事細かな情景はいつだって曖昧です。
例えば、僕は大学生の時に屋久島に6泊くらいして縄文杉を見に行ったりしたんですよね。
今考えると、とてつもなく貴重な体験でした。
でも思い出そうと試みても、6泊中の情景がまるで思い出せません。
初日に何か地元のレストランに入った気がする・・・何食べたっけ・・・
泡盛をあほみたいに飲んで潰れたところのお店の名前は・・・
縄文杉に感動したけどどれくらいの大きさだったっけ・・・
てか約7日もいたはずなのに記憶の中の写真が縄文杉と酒と食べ物しかねぇ、なんだこれ
ここまで思い返してみて、「そうだ写真を見返してみよう」となるわけです。
そして気づく。
「写真残ってないじゃん」
無慈悲の咆哮である。
話は変わります。
例えば、僕は大学生の時に北岳を登頂しました。
日本で2番目に高い山ですが、高い標高からの景色という条件ならば
富士山よりも上位、日本で1番だと思ってます。
それ、本当ですか????
おう、ほんとだぞ。周りをアルプスで囲まれた山にこそ真の美しさがあるんだ。
山頂で撮った綺麗な写真があるんだ、綺麗だったはず・・・残してあったっけな・・・
そして気づく。
「写真残ってないじゃん」
無慈悲の咆哮である。
と、まあ、人の記憶は曖昧ですので思い返すには何かしらのきっかけが必要な訳です。
そのきっかけは、聴覚かもしれないし味覚等かもしれませんが、シンプルであり
最も分かりやすいのは視覚情報です。
だから思い出を保存するのって映像媒体が最強だったりって思ってます
さて、特に強い結論がないダラダラ所感、遺影。
写真とかをより大事にするといいんじゃないかなってことを言いたかった気がします。
そんな訳でこれからと一眼を片手にあちこち旅行してると思います。
あと携帯の容量が溢れるからって写真は消しちゃダメですよ自分。
とか思ってたら軽登山とかしたくなってきた。
早く情勢が落ち着かないかなぁと心から思うのでした。2021/5/30
終わり